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大阪地方裁判所 昭和60年(ワ)4562号 判決

原告

笹田和夫

被告

棟保誠児

ほか二名

主文

一  被告らは、原告に対し、各自五六三万九七四五円及び内金五一三万九七四五円に対する昭和五八年六月一六日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告棟保誠児及び同株式会社大森屋は、原告に対し、一項の金員のほか、さらに、各自二万〇五八七円及びこれに対する昭和五八年六月一六日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、これを二〇分し、その七を被告らの負担とし、その余を原告の負担とする。

五  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自一五九九万九三四四円及び内金一四七九万九三四四円に対する昭和五八年六月一六日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五八年六月一六日午後八時四〇分ころ

(二) 場所 大阪市北区芝田一丁目一五番一五号先路上(国道一七六号)

(三) 加害車両 被告棟保誠児(以下被告棟保という。)運転の普通貨物自動車(大阪四六ま四九七六、以下被告車という。)

(四) 被害車両 原告運転の原動機付自転車(大阪市旭い二七三二、以下原告車という。)

(五) 態様 原告車が国道一七六号を天神橋六丁目方面に向かうため、中津交差点より国道一七六号に入り、済生会中津病院前交差点に向かつて同国道の片側三車線の真中の車線を走行中、原告車の後方を走行していた被告車が原告車右側を追い越し、原告車の前方に出るため左転把した際、自車左側面部を原告車に接触させて原告を原告車もろとも転倒させた。

2  責任原因

(一) 被告棟保には、追い越し禁止地域であるにも拘らず、これを無視して原告車を追い越し(そのうえ同被告は方向指示器も出していなかつた)、さらに、前記左転把するについて自車左側方及び左後方の交通の安全を確認すべき注意義務があるのに、これを怠つた過失がある。

(二) 被告株式会社大森屋(以下被告大森屋という。)は被告株式会社イチネン・リース(以下被告イチネン・リースという。)より(被告)車のリースを受け、会社の業務執行に使用しており(被告棟保は被告大森屋の従業員)、被告車の運行支配と運行利益を有しており、運行供用者としての責任がある。また本件事故は被用者である被告棟保が被告大森屋の業務執行につき惹起したものであるから、被告大森屋には使用者責任がある。

(三) 被告イチネン・リースは被告車の所有者として、これを被告大森屋にリースし、リース料を得ていたから、被告車の運行供用者としての責任がある。

3  受傷、治療経過及び後遺障害

(一) 原告は本件事故により頭部外傷、右滑車神経麻痺(複視)、左腰部打撲症、右肘部打撲症の傷害を受け、昭和五八年六月一六日から同年九月一〇日まで八七日間、医療法人行岡医学研究会行岡病院(以下行岡病院という。)にて入院治療を、同月二七日から同五九年九月二八日まで同病院にて通院治療(実日数三六八日)を受けた。

(二) また右滑車神経麻痺(複視)の治療のため、昭和五八年六月二四日から同年八月二九日までの間(実日数五日)尾辻眼科医院にて、同年九月二日から、同五九年九月一三日までの間(実日数一六日)大阪大学医学部附属病院眼科(以下阪大病院眼科という。)にて、それぞれ通院治療を受けた。

(三) 昭和五九年九月二八日症状が固定し、右滑車神経麻痺(複視)の後遺障害が残つた。

右は自賠法施行令第二条別表(以下別表という。)後遺障害等級一二級に該当する。また、原告の後遺障害は、右のほか、右顔面、左手掌、手指の知覚鈍麻もあり、右同日症状固定した。右は別表一二級一二号に該当するので、結局、原告の後遺障害は、併合により別表一一級となる。

4  損害

(一) 治療関係費 三五五万八八四四円

行岡病院分 三四一万六八二四円

阪大病院分 八万七三八四円

尾辻眼科医院分 五万四六三六円

(二) 付添費 三〇万四五〇〇円

行岡病院入院中(八七日間)、原告の妻が付添つたことによる一日当たり三五〇〇円の割合による付添費。

(三) 入院雑費 八万七〇〇〇円

行岡病院入院中の一日当たり一〇〇〇円の割合による諸雑費

(四) 通院交通費 一六万四一五〇円

行岡病院及び阪大病院への通院交通費(バス、地下鉄、一部タクシー)

(五) 休業損害 六九六万三七三七円

原告は本件事故当時、凸版株式会社関西支社に勤務し、月額平均三五万四〇〇〇円(事故前三か月の給与の平均額)を下らない給与の支給を受けていたが、本件事故により、昭和五八年六月一七日から同五九年一一月一五日までの間(一六か月と三一分の三〇月)休業を余儀なくされ、その間

(35万4000(円)×(16+30/31)(月)=600万6580(円)

の給与の支給を受けなかつた。

また原告は同五八年一二月分の賞与四九万七七三一円のうち二一万四四三二円、同五九年六月分の賞与四五万〇三四一円のうち三四万〇三四一円、同年一二月分の賞与五一万二三八四円のうち四〇万二三八四円の支給を受けなかつた。

(六) 後遺障害による逸失利益 一〇六八万二四〇二円

原告は、本件事故当時、少なくとも前記のとおり、一年間に、給与として四二四万八〇〇〇円、賞与として九六万二七二五円の合計五二一万〇七二五円の収入を得ていたところ、前記後遺障害により、当初四年間は、複視及び知覚鈍麻により労働能力の二〇パーセントを、その後の一五年間は、複視により労働能力の一四パーセントを喪失したものである。なお、原告の就労可能年数は一九年(症状固定時原告は四八歳)であり、複視は就労可能年数の全期間、知覚鈍麻は四年間継続する。したがつて、新ホフマン方式により中間利息を控除して後遺障害による逸失利益を算出すると頭書金額(円未満切捨)となる。

521万0725(円)×0.14×13.116(19年に対応する新ホフマン係数)=956万8141(円)

521万0725(円)×0.06×3.564(4年に対応する新ホフマン係数)=111万4261(円)

956万8141(円)+111万4261(円)=1068万2402(円)

(七) 入通院慰謝料 一七〇万円

(八) 後遺障害慰謝料 二〇〇万円

(九) その他 五万七四五〇円

原告車の修理代 二万七四五〇円

複視矯正用眼鏡レンズ代 一万二〇〇〇円

遠視用眼鏡代 一万八〇〇〇円

(一〇) 損害の填補 △一〇三三万八三六八円

原告は、自賠責保険より三二九万円及び労災保険より七〇四万八三六八円の支払を受けた。

(一一) 弁護士費用 一二〇万円

よつて、原告は、被告棟保につき民法七〇九条に、同大森屋につき自賠法三条及び民法七一五条一項に、同イチネン・リースにつき自賠法三条にそれぞれ基づき、被告らに対し、各自、右残存損害額合計一六三七万九七一五円の内金一五九九万九三四四円及び右金員から弁護士費用を差し引いた内金一四七九万九三四四円に対する本件不法行為の日である昭和五八年六月一六日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の(一)ないし(四)の各事実は認め、同(五)の事実は否認する。

2  同2の(一)につき、被告棟保に過失があることは認めるが、その内容は争う。同2の(二)及び(三)の各事実はいずれも認める。

3  同3の各事実はいずれも不知。

4  同4の(一)ないし(九)及び(二)の各事実はいずれも不知、同(一〇)の事実は認める。

なお、本件事故は、後記(抗弁)のとおり、被告棟保が原告との接触を感知できない程度の軽微な接触事故であり、また原告が転倒負傷をしたとはいうものの、原告は事故当時、ヘルメツトを着用し速度も過度のものではなかつたため、転倒後も自力にて善後策を取ることのできた状況であつた。また、初診時の病院における診断には、右側頭部打撲症、複視が存在するものの、重度のものとは考え難く、その余の左腰部打撲等については比較的軽度のものと見受けられる。したがつて、原告の休業損害の算定にあたつては、症状固定時(昭和五九年九月二八日)までの期間において、本件事故と相当因果関係があると考えられる妥当な範囲に限定されるべきである。

三  原告の後遺障害に基づく逸失利益に関する被告らの主張

1  原告の後遺障害は、自賠責において「一二級相当」と認定されている。原告は二度にわたる手術を経て(但し、右各手術は入院の必要性もない軽いものである。)、症状固定となつたものであるところ、右手術を担当した元阪大病院医師大本達也は、「かなり軽減することができておりますが、まだ残存しています。」、「下方視の複視が約半分程に軽快しました。一番悪い時で半分ですね。いい時は半分よりもうちよつといいですね。」、「(正面視の方は)約七五パーセントくらいは治つていると考えていいと思います。」と述べてはつきりと右各手術による成果認めているのみならず、なお残存する障害についても、「一番最後の六月二七日の(複像検査図)を見ますと、各方向によつて一応ずれの幅は一緒くらいです。これは手術の効果としては比較的うまくいつたということを意味しています。といいますのは、プリズムで矯正しやすい状況に持ち込むことができたということです。」と述べて、これをもプリズム眼鏡によつて矯正することが可能なことを認めている。

そのうえ、そもそも原告の複視障害は、右後遺障害の判定時においても、頭部CTスキヤン、眼窩CTスキヤン等による検査によつては他覚的異常所見は一切見られず、原告の強い自覚症状のみによるものである。そして、自賠責は原告の右後遺障害を神経障害によるものとして一二級相当と認定したものである。また、前記大本医師は、将来の回復の可能性自体についても、「複視に対する慣れがその人その人によつて起こる場合もあるし、起こらない場合もある。」、「あとで治る人もおるかもしれない。それはもうケースバイケースになる。」として決してこれを不定していない。

2  原告は、本件事故当時の勤務先(一二年間)を含め三二年間オフセツト印刷の技師に従事していたとのことであり、事故当時も若干の遠視であつたとのことである。原告の主訴による複視、眼精疲労の発症原因については、年齢的、先天的、後天的、職業的要素も考えられるものであり、他覚的所見の乏しい本件においては、特に原告の複視発症原因として、本件事故だけでなく、原告の年齢、職歴、事故態様等も併せ考えるのが相当である。

3  右の諸事情を考慮するとき、原告の後遺障害の継続期間については、せいぜい三、四年程度とするのが相当である。

4  原告は、「就労可能年数の全期間にわたつて労働能力の少なくとも一四パーセント、但し当初四年間は二〇パーセントを喪失したものである。」旨主張するが、一四パーセントの数値はともかく、右二〇パーセントの数値は原告の主観のみに基づき、何らの客観的証拠を伴なわないものであるので、到底採用できるものではない。

5  また、原告は、「併合により一一級となる。」旨主張するが、顔面等の知覚鈍麻については自賠責の調査事務所での認定が存在しないのであるから、複視による一二級のみとすべきである。

6  原告の後遺障害に基づく逸失利益の期間については、三、四年程度とすべきであるが、これが認められないとしても、その程度が一二級相当であり、かつその内容がもつぱら原告の主訴に基づくこと等を考慮すると、せいぜい最長一〇年程度とすべきであるが、仮に最大限の譲歩をするとしても、原告が勤務していた凸版印刷株式会社の定年六〇歳程度まで(約一二年間)とすべきである。

四  被告らの主張に対する原告の反論

1(一)  原告は、本件事故により、受傷直後から複視が出現していた(乙第二六号証の一四枚目の紹介状)が、複視は右眼の滑車神経麻痺に基づく上斜筋(眼球運動を司つている筋肉の一つ)の運動障害より生じており、原告は、阪大病院眼科にて、昭和五九年一月二五日、同年三月二八日の二回にわたつて手術を受け、手術前よりは複視の症状は軽減しているものの完治しておらず、同年六月二七日の複像検査によつても正面、上下、左右の全般にわたつて「ずれ」が残つている。なお上方の「ずれ」は治療経過によるとのことであるが、これは手術のために不可避的に生じたものであり、これじたいも本件事故による後遺障害である。また「ずれ」の幅は各方向とも同じ程度であり、この点では手術前と比べていい結果―プリズム眼鏡で矯正しやすいという意味で―になつているとのことであるが、仮にそうであるとしても、プリズム眼鏡は、それじたい完全な治療手段でないだけでなく、患者にとつて非常に使いにくいため実用性は低く、現に原告の場合一時間も装用すると眼精疲労が起こるほどであるから、実際にはプリズム眼鏡による矯正はできない。

(二)  したがつて、後遺障害の等級・継続期間、労働能力喪失率の認定にあたつてもプリズム眼鏡による矯正を考慮すべきでない。

2  右治療後も原告の複視の症状は残つており、原告の自覚的症状だけでなく諸検査の結果によつても他覚的にも眼位ズレが存在しているが、再手術によつて治せる見込みは非常に難しく、手術的にはほぼできる限りの治療はなされており、これ以上の治療効果はあがらない状況に至つている。

3  原告の場合、複視は、左右上下視だけでなく、正面視においても生じているので、これは眼球の著しい運動障害もしくはこれに準ずるものであるから別表一二級一号に該当する。ところで、自賠責における障害等級認定基準では、正面視で複視を生じる場合は眼の障害として一二級を準用することとされており、神経障害による一二級であれば一二級一二号と認定されるところ、乙第二七号証の記載では、担当者意見として、「正面視、左右上下視に複視を生じる。」ものとして一二級相当を妥当と思料します、とあり、「神経障害によるもの」、「一二級一二号」とはなつていない。また乙第二七号証の担当者意見では、一二級相当との認定は「診療医の他覚的所見に基き」なされているのである。

4  前記のとおり、原告の複視は医学的にはこれ以上の治療はできないから、その継続期間は就労可能年数の全期間とすべきである。もつとも、今後治ることもあるし、治らないこともあるようであるが、一般論としてさえもいつ治るか分からず、また治る可能性も分からないというのであるから、原告の右後遺障害の継続期間は右のように考えるべきであつて、被告らの主張のようにその継続期間を三、四年間とすべきものではない。

5  なお、原告は、本件事故当時、凸版印刷株式会社関西支社に技師補として勤務し、オフセツト印刷部門を担当していた(原告は三二年間印刷技師をしてきており同社勤務は一二年になる)が、本件複視のため技師補としての職務が果たせなくなり(印刷の色のズレを合わせる等の精密な作業ができなくなり、又高速輪転機の捜査ができなくなつた)、現在、同社を除籍のうえ、株式会社凸版関西サービスセンターに派遣されて警備員として勤務しているものである。

五  抗弁(過失相殺)

1  本件事故発生道路は片側三車線の道路であり、被告車は、右の中央車線を逸脱することなく、走行していたものである。被告車は中津交差点を原告車に遅れて発進し、一〇〇メートルないし一五〇メートルで追いつき、そのまま右中央車線を逸脱することなく、慎重に走行していた。被告車の走行速度は約三〇キロメートルであり、原告車の速度は約二五キロメートル(原告の警面調書における供述)とすれば、必然的に両車の間隔は隔たるものであり、そのまま両車が通常走行を続けると、車両の極端なブレ或いは一方の車線逸脱がない限り接触するものではない。しかるところ、被告車は、原告車に追いついた後、特別加速したわけでもなく、他車を追い越して車線を変更するなど特段の事情もなく、また、原告車に追いついた後は、原告車に先行して走行していたのである。

2  ところで、実況検分調書(乙第七号証)では、交通事故現場見取図(2)の地点で、被告車の左側面(後方から測つて八七センチメートルの部分)と原告車の右ハンドル部分が接触したとされている。しかるところ、原告は、事故後、相当の日数がたつた昭和五八年八月四日(事故日は同年六月一六日)、警察が「相手の車が私の右側からおいついたと思つたら、私の右前で左にハンドルを切つてきました。」と言つているが、右は、事実に反する。中津交差点(事故現場三〇〇メートル手前)をほんの少し遅れて発進した被告車が三〇〇メートル行つて、しかもカーブのところで急に追いこすことは考えられない。一方、被告棟保は中津交差点発進後、一五〇ないし二〇〇メートルで原告車に並進したといつている。そして、スピード差から考えれば、そのまま被告車が先行していたものである。もし、原告車が先行しておれば被告棟保は原告車をみているはずである。それに、カーブの所では単車の方がこまわりがきくものであるから、カーブの所で単車が自動車に抜かれるということは通常ありえない。さらに、原告は、接触後、前記見取図〈ウ〉の地点に倒れており、いわばカーブの外側に走つて行つて倒れている。このことは、先行の自動車に後方から接触したことを示すものである。単車を右側から追い抜く形で自動車が前に切りこんできた場合、単車は、カーブの内側(進行方向の左側)に倒れるはずだからである。

3  以上要するに、本件は、被告棟保が原告車との接触にさえ気づかない程度の、極めて軽微な接触事故である。本件は、右のとおり、被告車が同一車線内で左側に進路を変更して行き、その結果原告車の進路の前方に出て行つたために惹起したものであり、原告車が一方的に被告車の後部に追突してきたというのに近いものであるので、原告にも事故直前、特に原被告双方の車が並進して走行していたときに被告車に対し十分な注意を払つておれば、その発生を防ぎえたはずであるから、原告にも相当大きな過失がある。

なお、過失相殺の割合については、四輪車対二輪車において、四輪車の単純な割込みによる追突事故でさえ、二輪車側に二割の過失が認められるのであるから(別冊判例タイムズ一五八頁)、本件の如き微妙な左カーブとなつている事故現場で双方のハンドルの微妙な切り方の差異からほぼ並列して走行していた四輪車と二輪車が接触した交通事故では二輪車(原告)側に大幅な過失相殺がなされるべきである。

六  抗弁(過失相殺)に対する認否

抗弁事実はすべて否認する。被告棟保は、原告車との接触前あるいは接触時に自車の左側方及び左後方を見ておらず、原告車の存在及びその位置も全く認識しておらず、原告車と接触したことじたい認識していないのであつて、原告にも過失があつたとの被告らの主張は全く筋違いであつて自己の責任を他に転嫁せんとするものである。すなわち、

済生会病院前交差点に近づくと原告は原則徐行したにも拘らず、被告車は原告車と前車との間隙に割込もうとして原告車前方に出、左転把した際原告車に接触したのである。

原告は自車後方を確認しながら走行していたのであるが、被告車が、交差点直前であるにも拘らず、急にスピードをあげて追い越しをかけてきたため、接触を避ける余裕もなかつたのであり、原告には何ら過失はない。被告らは、原告車と被告車が並進していたと主張するが、被告棟保は事故前に自車と原告車の位置関係を全く認識していないばかりか、被告車が突如原告車に追い越しをかけてきたのであつて、右並進状態を前提として原告にも過失があるとの主張は失当である。また、被告らは、「原告車が一方的に被告車の後部に追突してきたというのに近い。」と主張するが、乙第九及び第一一号証によれば本件事故によつて被告車の左側後部ドアーに後方へ長さ一七センチメートルの擦過痕が残つており、この点よりみれば被告車の方から原告車に接触したことは明らかである。

したがつて、本件事故は、被告棟保の一方的な過失によつて惹起されたものである。

第三証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録各記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由

一  本件事故の発生について

1  請求原因1の(一)ないし(四)の各事実は当事者間に争いがない。

2  いずれも成立に争いのない甲第一一号証、乙第二、第四ないし第八号証、第九号証(後記措信しない部分を除く。)、第一〇号証(後記措信しない部分を除く。)、第一一号証、第一四号証(後記措信しない部分を除く。)、第一五号証(後記措信しない部分を除く。)、第一七号証(後記措信しない部分を除く。)、原告本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く。)及び被告棟保本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く。)に弁論の全趣旨を総合すれば、本件事故発生状況に関し、次のとおり認定することができ、この認定事実以上により具体的な事実を認定することはできず、右乙第九、第一〇、第一四、第一五、第一七号証の各一部、原告本人尋問の結果の一部及び被告棟保本人尋問の結果の一部がいずれも措信できないのは後に説示するとおりであり、他にこの認定を左右するに足る証拠はない。

(一)  本件事故発生場所(以下本件現場という。)は、国道一七六号線である。原告車及び被告車は、中津交差点から済生会病院前交差点の方向へ、右国道の片側三車線あるうちの中央車線を走行していた。本件現場付近は、右両車の進行方向からみて大きく左に曲つているけれども、右両車からの見とおしは各前方・後方ともに良好である。

(二)  本件現場付近に至るまでの右両車の走行状態の詳細は明らかではないが、本件現場にさしかかつた際、被告車を運転していた被告棟保において、自車の左側方及び左後方の安全を確認せず、道路が左へ曲つているためハンドルを左へ切つたところ、右同車線上で被告車の左側をほぼ同速度(時速二五キロメートルないしは三〇キロメートル)で走行していた原告車の右ハンドルのブレーキレバー先端部と被告車の左側面後部とが接触し、原告車は少し進行して、右中央車線と原告車の進行方向からみて右側の車線との区分線上付近に転倒した。

(三)  被告棟保は右接触に全く気づかず、被告車をそのまま走行させた。

3  本件事故発生状況に関する証拠関係の検討

(一)  原告の供述に関するものは次のとおりである。

(1) 成立に争いのない乙第一一号証によれば、原告は、本件事故発生当日、収容された行岡病院において、事情聴取に来た警察官に対し、本件事故の状況につき、「西から東に向い単車を運転して走行中に転倒したが、自動車に単車の一部を引つかけられたように思うがよく覚えていない」旨説明している。

(2) 前記乙第一〇号証によれば、原告は、昭和五八年八月四日、右同病院において、警察官に対し、「私が交差点手前の少し左にカーブしているところにさしかかりますと、相手の車が私の右側から追いついたと思つたら私の右前で左にハンドルを切つてきました。」と述べている。

(3) 前記乙第一七号証によれば、原告は、昭和五八年一〇月一四日、検察事務官からの電話での聴取に対し、「そのとき私の右に追いついてきた相手車が急に左へ寄つてきて私がバランスを失つた。済生会前道路は、交差点で左へ曲つているが私は当時そんなに急角度に曲つているとは思つていなかつた。」旨答えている。

(4) 本件訴訟における原告本人尋問(昭和六〇年一〇月四日施行)では、「中津交差点からは下り坂になつており、その先の済生会病院前の交差点の停止線より一五メートル程手前で、バツクミラーで後続車を確認したところ、白のライトバンが四〇キロ以上のスピードで追越しをかけて来て、私の前に切り込んで来ました。私と前車との間は約一台ぐらいの車間があつたので、そこへ左にハンドルを切つて割込んできたのです。」(四項)、「被告棟保の車に気づいたのはどこですか。」との質問に対し「事故直前、私が二番目の車線の左側を走行していて、同じ車線の私の後に来たのに気がつきました。乙第七号証のまん中の図面で、〈イ〉が私のバイクで〈2〉が加害車ですが、私が気づいた時は、〈2〉よりうしろの位置です。私が被告の車に気づいてすぐ追越しをかけられ、私の前に来たと思つた瞬間接触されました。」(二三項)、「事故の前、あなたのバイクと被告の車が並進したことがありますか。」との質問に対し「ありません。」(二六項)と述べている。

(二)  被告棟保の供述に関するものは次のとおりである。

(1) 前記乙第九号証によれば、被告棟保は、昭和五八年九月七日、警察官に対し、「私はこの事故の前大淀区の中津交差点の南西詰で信号待ちのため〈A〉車の後方〈1〉に停止しました。そのとき相手は私の左側〈ア〉に停止していました。その後対面の青信号で発進したのですが、発進直後は相手の単車が先になつていました。私は〈A〉の車に続いて発進し中津の交差点を右折し済生会病院前交差点に向かつて直進状態になつたころ私の左前方を走つていた相手の単車に追いつきました。……この見取図の〈2〉の約二〇〇メートル西側の地点です。私はこのように相手と並進状態になつたあとは、先行車や前方の交差点に注意しながら走りました。」(六項5)と述べている。

(2) 前記乙第一四号証によれば、被告棟保は、昭和五八年一〇月一四日、検察事務官に対し、「相手の原動機付自転車に追いついた地点は、……私としてははつきりとした記憶がなく、中津交差点と接触地点の中間くらいではなかつたかと思うのです。」(二項)、「私がハンドルを左に切るとき左や左後方を見ていないので相手原付車がどの位置を走つていたか私はわかりません。」(四項)、「相手車を追い抜いてしまつたのか並進していたのかはよくわかりません。」(八項)と述べている。

(3) 前記乙第一五号証によれば、被告棟保は、同月二二日、検察事務官に対し、「私が笹田さんの原付に追いついたのはたしか中央分離帯のコンクリート仕切りの始まる地点であつたかと思います。」と述べている。

(4) 本件訴訟における被告棟保本人尋問(昭和六〇年一〇月四日施行)では、「私が中津先交差点でとまつたとき、横に単車がいました。それが原告のバイクであつたかどうか確認していません。」(四項)、「私の車とそのバイクの位置関係については、私は、中津交差点と事故の交差点の中間ぐらいで確認したところ、バイクは第二車線の左寄りを走行していました。そして、私の方がスピードが早いので、そのバイクを追い抜きました。そのあと、バイクと並走したか引き離したかは確認していません。」(五項)、「私は、……原告のバイクの前に割込んだ記憶もありません。」(八項)、「原告のバイクと接触した位置は。」との質問に対し「私がバイクを追上げて行つて、済生会病院前交差点の手前の停止線近くで追い抜いたのですが、接触した認識はありません。」(九項)、「停止線の直前で追い抜きざまに当つたのではありませんか。」との質問に対し「その前でバイクと並んで、その後バイクについての認識はないのです。」(一〇項)と述べている。

(三)  しかるところ、本件事故状況についての原告の供述は右(一)のとおりであつて、本件事故発生当日における供述では、転倒した原因さえよく覚えていないというのである。事故直後であつて気が動転していたであろうこと、あるいは、事情聴取に来た警察官が詳しい質問をしなかつたため原告において十分な説明ができなかつたであろうことなどの点があつたとしても、前記(一)(2)ないし(4)で述べていることが事実であるならば、事故当日の説明も右と同趣旨のものとなるのが通常であろう。右にみたとおり時日が経過するにしたがつて事故状況についての原告の供述が詳細なものとなるのは不自然という他なく、前記乙第一〇号証及び第一七号証の右各記載並びに原告本人尋問の右結果はそれ自体ただちに措信し難いところである。

一方、被告棟保の供述は右(二)のとおりであるが、それによると、中津交差点の南西詰で被告車が信号待ちで停車した際、その左側の車線に原告車と思われる単車が同様に信号待ちで停車したこと、そして、先に右単車が発進したが、本件現場に至るまでの途中で被告車が右単車と並進したか、あるいは、被告車が右単車を追抜いたかの如くであるが、右信号待ちで停車した単車は原告車でなかつたのではないかと考えられること(被告棟保自身、前記のとおり、右単車が原告車であつたかどうか確認していないし、前記乙第一七号証及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、右中津交差点にさしかかつたところ、信号は青であつたので停止することなくそのまま同交差点に入り右にカーブして国道一七六号線に進行した旨を述べているところ、この点については特段の作為をする必然性はないと考えられるので原告の右供述部分は信用しうる。)及び被告棟保は、本件現場である左カーブになつているところですら自己の左側を走行している単車に特段の注意を払わなかつたことからすれば、原告車と被告車とが本件現場までの途中で並進した、あるいは、追い抜いた旨の被告棟保の前記供述の信憑性はそれ自体疑しいといわざるをえない。

右のとおりであるから、本件事故発生状況に関する前記乙第九、第一〇、第一四、第一五及び第一七号証の各一部並びに原告及び被告棟保各本人尋問の一部はいずれも措信しない。

二  責任原因について

1  請求原因2の(一)のうち被告棟保に過失があつたこと、同2の(二)、(三)の各事実は、いずれも各当事者間に争いがない。

2  しかるところ、本件事故の発生状況は前認定したとおりであり、これによれば、被告棟保は、左側方及び左後方の安全確認を怠つた過失がある。

3  したがつて、被告棟保は民法七〇九条に、同大森屋は同法七一五条一項に(自賠法三条に基づくまでもなく)、同イチネン・リースは自賠法三条にそれぞれ基づいて原告に生じた後記損害を賠償すべき義務がある。

三  受傷、治療経過及び後遺障害について

1  受傷及び治療経過について

いずれも成立に争いのない甲第一号証の一ないし一七、第二号証の一ないし一一、第三号証、第四、第五号証の各一、二及び原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。(なお、甲第四号証の二に治療実日数一六日とあるのは甲第二号証各証の記載内容に照らし一七日の誤記と、また、甲第五号証の一に実治療日数三六八日とあるのは甲第一号証各証の記載内容に照らし二六四日の誤記とそれぞれ認められる。)

(一)  原告は、本件事故により、右腰部打撲症、右肘部打撲症、右側頭部打撲症、複視、滑車神経麻痺の傷害を受け、昭和五八年六月一六日から同年九月一〇日まで八七日間行岡病院で入院治療を、同月二七日から同五九年九月二八日まで同病院で通院治療(実日数二六四日)を受けた。

(二)  原告は、右眼の滑車神経麻痺の治療のため、同五八年六月二四日から同年八月二九日まで尾辻眼科医院に通院(実日数八日)、同年九月二日から同五九年九月一三日まで阪大病院眼科に通院(実日数一七日)した。

2  後遺障害について

(一)  前記甲第五号証の一、二(自賠責保険後遺障害診断書)によれば、原告の症状は、眼に関しては昭和五九年九月一三日ないし同月二八日に、その他に関しては同月二八日に、それぞれ症状固定したものとされ、後遺障害に関し、自覚症状として、複視、右顔面の知覚鈍麻、左手指のこわばりがあり、他覚症状および検査結果でも眼位ズレがあり、右顔面知覚鈍麻、左手掌、手指の知覚鈍麻があるとされた。そして、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる乙第二七号証によれば、右後遺障害につき、自賠責の後遺障害の認定では、昭和五九年一一月一日、「正面視、左右上下視に複視を生じる」ものとして別表一二級相当とされたが、これ以外のものについては後遺障害としての認定はなされなかつた。

(二)  ところで、原告は、後遺障害として、複視のほかに、右顔面、左手掌、手指の知覚鈍麻があり、これは別表一二級一二号に該当する、と主張するところ、前記甲第五号証の一のうちの右記載部分及び原告本人尋問の結果は右主張に沿うものではある。しかるところ、別表の後遺障害の認定については労働災害「障害等級認定基準」(以下労災基準という。)に準拠して取扱うこととされている(昭和五一年一月一九日医調五〇―二五五号自動車保険料率算定会医療費調査部長通知)ので、当裁判所も右労働基準に準拠して検討することとするが、右基準によると、神経系統の機能又は精神の障害については、一二級は「他覚的に神経系統の障害が証明されるもの」及び一四級は一二級よりも軽度のものが該当するとされているところ、前記甲第五号証の一の他覚症状および検査結果欄には前記のとおり、「右顔面知覚鈍麻、左手掌、手指の知覚鈍麻」なる記載がなされているものの、右記載だけではいかなる検査を施行してどの程度の他覚所見が得られたのか全く不明であるから、前記証拠によつては、原告主張の右後遺障害が別表一二級一二号に、あるいは、同一四級一〇号に該当すると認定することはできず、他には右後遺障害が右等級に該当すると認めるに足る証拠はない。よつて、原告の右主張は失当である。

(三)  しかして、前記労災基準によれば、「眼球に著しい運動障害を残すもの」に該当しない程度のものであつても、正面視で複視を生じるものについては、両眼視することによつて高度の頭痛、めまい等を生じ労働に著しく支障をきたすので、一二級を準用すること、とされているところ、前記甲第五号証の一、二及び乙第二七号証によれば、本件原告の複視については、右基準にしたがつて一二級を準用して、自賠責の後遺障害の認定では前記のとおり別表一二級相当とされたものであると認められ、前記甲第五号証の一、二、成立に争いのない乙第二四号証の一、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる同号証の二(但し、青字で書かれた部分は除く。)、成立に争いのない乙第二五号証の一、弁論の全趣旨により真正に成立したと認められる同号証の二(但し、青字で書かれた部分は除く。)成立に争いのない乙第二六号証(但し、青字で書かれた部分は除く。)、原告本人尋問の結果及び証人大本達也の証言によれば、右認定は正当なものとして是認しうる。

(四)  したがつて、原告の後遺障害としては、複視だけが認められ(遅くとも昭和五九年九月二八日には症状固定したと認められる。)、右は別表一二級に相当するものである。

四  損害について

1  治療関係費 四〇三万三五八四円

(一)  前記甲第一号証の一ないし一六によれば、原告は、行岡病院に対し、三四一万六八二四円を負担したものと認められる。

(二)  前記甲第二号証各証によれば、原告は、阪大病院に対し、八万七三八四円を負担したものと認められる。

(三)  前記甲第三号証によれば、原告は、尾辻眼科医院に対し、五万四六三六円を負担したものと認められる。

(四)  前記甲第一号証の一二及び原告本人尋問の結果によれば、原告が行岡病院に入院中の八七日間附添看護を要したこと及び原告の妻や妹など近親者が附添つたことが認められ、また、経験則上、附添費用は一日当たり三五〇〇円とするのが相当であるから、右入院期間中の附添費用は三〇万四五〇〇円とするのが相当である。

(五)  入院雑費は、一日当たり一〇〇〇円とするのが経験則上相当であるので、前認定した行岡病院の入院期間八七日では八万七〇〇〇円となる。

(六)  入院及び通院のための交通費については、原告本人が入院及び通院に要した費用は本件事故と相当因果関係があると解されるけれども、原告が入院中の間に近親者が附添うための通常の交通費は前記附添費一日当たり三五〇〇円の中に含まれていると解すべきであるので、これと別に請求することはできないと解すべく、また、本件においては、前掲証拠上、原告が前記各病院に通院するについてまで附添を要したものとは認められないので、原告が通院中における附添人の交通費は本件事故と相当因果関係がないというべきである。

そうすると、原告本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したと認められる甲第一二号証によれば、入退院に要したタクシー代四〇四〇円、行岡病院への通院交通費(往復三〇〇円、通院実日数二六四日)七万九二〇〇円、阪大病院への通院交通費(一往復二九〇円、通院実日数一七日)四九三〇円の計八万三二四〇円が本件事故と相当因果関係があると認められる。

2  休業損害 六四〇万八七五七円

前認定の原告の受傷部位・程度、治療状況及び原告本人尋問の結果により認められる原告の職業、その職務内容等に鑑みれば、原告は、本件事故のため、昭和五八年六月一七日から同五九年九月二八日まで休業を余儀なくされたと認められるところ、原告本人尋問の結果及びこれによりいずれも真正に成立したと認められる甲第六号証の一、第八号証によれば、右期間中の原告の休業損害は、給与分につき五四五万一六〇〇円(月収三五万四〇〇〇円、一五月と一二日分)、償与減額分につき九五万七一五七円の計六四〇万八七五七円となる。なお、前認定事実に鑑み、事実摘示第二、二の4記載の被告らの主張は採用しない。

3  後遺障害による逸失利益 七三六万五一四三円

(一)  後遺障害の部位・程度は前認定のとおりである。

(二)  前記乙第二六号証(但し、青字で書かれた部分は除く。)、原告本人尋問の結果及び証人大本達也の証言に弁論の全趣旨を総合すれば、事実摘示第二、四、1の(一)、同2及び同5の各事実が認められる。

(三)  右のとおり、原告の複視は、原告の主訴のみによるものではなく、他覚的所見として認められるものであり、その治療も医学的にほぼできる限りのことがなされていること、そして、前記大本証言によれば、右後遺障害の回復の可能性としては、何かの偶然で治るかもしれない。あるいは、人によつては複視に対する慣れが起こる場合もないではないという程度にすぎないことが認められる。

(四)  右にみた諸事情を総合考慮すれば、原告の後遺障害は、前記症状固定時以降一五年間程度は継続するであろうこと及び右後遺障害による労働能力の喪失率は一四パーセントであると認めるのが相当である。そうすると、原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和一一年七月一五日生まれであつて、前記症状固定当時四八歳であつたと認められるから、原告は、六三歳に至るまで、その労働能力の一四パーセントを失つたものと認めるのが相当である。

(五)  そして、前記甲第六号証の一、第八号証及び原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、症状固定時の原告の年収は五二一万〇七二五円と認められ、原告が六〇歳程度になるまでは少なくとも右年収程度の収入は得られるであろうと認めるのが相当であり、また、経験則上、右以降は定年後の収入として少なくとも右額の半額程度の収入である年収二六〇万円程度の収入は得られるであろうと認めるのが相当である。

(六)  以上を前提にして、法定利率年五分の中間利息控除はホフマン式によるのを相当と認めて、原告の症状固定時以降の将来の逸失利益の現価を求めると七三六万五一四三円(円未満切捨)となる。

521万0725(円)×0.14(労働能力喪失率)×9.2151(症状固定時から60歳までの12年間の年別ホフマン係数)=672万2429(円)

260万(円)×0.14×1.7657(61歳以降63歳〈後遺障害継続年齢〉までの3年間の年別ホフマン係数)=64万2714(円)

672万2429(円)+64万2714(円)=736万5143(円)

4  慰謝料 二八〇万円

前認定した原告の受傷部位・程度、治療経過、後遺障害の部位・程度、原告の職業等諸般の事情に鑑みれば、二八〇万円とするのが相当である。

5  その他 五万七四五〇円

原告本人尋問の結果及びこれによりいずれも真正に成立したと認められる甲第九号証の一、二及び第一〇号証によれば、原告は、本件事故により、(一) 原告車の修理代として二万七四五〇円、(二) 複視を矯正するための眼鏡代として計三万円をそれぞれ支出したものと認められる。

五  過失相殺について

1  本件証拠上認定しうる事故状況は前記認定のとおりであり、また、関係証拠の前記検討結果によれば、被告らが事実摘示第二、五の1ないし3で主張するような具体的な事実関係を認めることはできないところである。そして、被告棟保が本件事故発生時に原告車と被告車の接触に気づかなかつたことから同被告の過失が小さいということは必ずしもいえず、また、本件現場が左カーブになつているという点はかえつて左側方あるいは左後方により注意すべきであるともいえるのであつて、結局、被告らが抗弁において主張するところを全面的に正当として採用することはできない。また、一方、前記検討結果によれば、事実摘示第二、六の原告の主張も採用することはできない。

2  前認定した限りでの本件事故状況に鑑みれば、原告にも右側方あるいは右後方を十分確認していなかつた落度が認められるところ、原告と被告棟保の本件事故発生に関する過失の割合は、原告が一、被告棟保が三とするのが相当であり、この限りにおいて抗弁(過失相殺)は理由がある。

3  右によれば、被告らが負担すべき原告の損害は、前記四1ないし5記載の合計額二〇六六万四九三四円(人損分二〇六三万七四八四円1前記四、5の(二)は人損分に含まれると解する。1、物損分二万七四五〇円)につき、その四分の一を減額した金額である一五四九万八七〇〇円(人損分一五四七万八一一三円、物損分二万〇五八七円)1円未満切捨1となる。

4  なお、原告は、被告らの本件事故発生状況についての主張の変遷をとらえて自白の撤回に該当するとして異議を述べるというけれども、被告らの右主張の変遷は抗弁(過失相殺)を基礎づける事実の主張の変遷というべきであるから、これが自白の撤回に該らないことは明らかである。

六  損益相殺について

請求原因4(一〇)は当事者間に争いがないので、その金額一〇三三万八三六八円を右損害額から控除すべきところ、自賠責保険及び労災保険の性質上、右各保険金は、原告に生じた損害のうち人損分の填補に当てられ、物損分の填補に当てられるべきものではない。そうすると、原告が被告らに請求しうる残額は五一六万〇三三二円(人損分五一三万九七四五円、物損分二万〇五八七円)となる。

七  弁護士費用

本件事案の性質、審理の経過及び認容額等に鑑みれば、五〇万円とするのが相当である。

八  結論

以上のとおりであるところ、自賠法三条に基いては物損分の請求は認められないから、原告の本訴請求は、被告らに対し、各自、人損分の請求として、五六三万九七四五円及びこれから弁護士費用を差し引いた内金五一三万九七四五円に対する本件不法行為の日である昭和五八年六月一六日以降完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、被告棟保及び同大森屋に対し、各自、右金員のほか、さらに、物損分の請求として、二万〇五八七円及びこれに対する右同様の遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを右の限度において認容し、その余は失当であるからいずれもこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐堅哲生)

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